中国古代玉-1

更新日:2019年10月01日
良渚文化時代〜戦国時代の古玉
 中国の伝統的かつ代表的文物は何であるかと問われると、玉、陶磁器、青銅器、書、畫の五点と言えます。このなかで我が国に伝播しなかったもの、それは玉だけです。勾玉は先史・古代の日本における装身具として日本特有のものであり、中国の玉の役割とは異質のものです。よって中国の古玉を収蔵する機関についても、国立東京博物館、出光美術館、白鶴美術館、藤井有隣館、天理大学參考館、京都大学人文科学研究所などが少量、所蔵するのみで、当然のことながら研究者が少ないのが現状です。
 玉製品には軟玉が多く使われていますが、硬玉、滑石、瑪瑙などの玉製品も出土しています。宗教儀礼(祭祀用)に用いたとされていますが確証はありません。その歴史は古く、新石器時代の良渚文化(前3500〜2500年頃)まで遡ります。当初は天子への畏敬の念ともいえる神器である「j」、「璧」が、夏商時代になると宮廷の祭祀儀礼に使用された「圭」、「璋」、「鉞」、「戚」など、神器・祭器と思われる品々が作られました。器表面は精緻な浮彫りや細線で、幾何学紋、神面、獣面、巨眼などが施されています。現代のように機械や工具のなかった時代にこれほどまでに精緻な紋様を刻すには、砥石や、木や竹に磨き砂を付け、革などを用いて文字通り気長に時間を掛けて磨くしか方法はなかったと思われます。
 細かな紋様を刻みつけるためには、石英、サメの歯、ダイヤモンド(林巳奈夫説)などを用いたとする説があります。その分布は江蘇省、浙江省に多く、広東省北部でも出土しています。後世の明代になり、古玉を模した玉製品が作られるようになりましたが、こちらは蒐集、愛玩を目的としており、これらは倣古玉と呼ばれます。現在、市場に出回る「古玉」とされる玉製品の九割以上は後世の偽作と言われています。
 次号では、中華民族が永い歴史とともに作り上げた「玉」への精神的、社会的思想、それらを誇示する理由を明らかにしたいと思います。
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