余談ですが、製作年が判明している最古の版画は、868年に中国敦煌で制作された経文に出てくる仏像の木版画で、この作品の精密な技術から、中国ではすでに七世紀頃から木版画が始まってとされています。北宋時代になり南京辺りで芥子園画伝など山水画、花鳥画の描き方などを広く伝えるために製作されたと言われています。この水印版画技法が八世紀頃になって日本に伝わり、その後、日本の版画技法は独自の発展を遂げ、江戸時代には浮世絵が一世風靡され、ぼかしや見当など多様な技術が確立されたのです。浮世絵の祖先とも言える版画技法です。
さて木版水印画は1672年に北京で開業した「栄宝斎」が出版元で、他に書籍や印章、書画骨董など手広く販売する有名店です。現在でも「北に栄宝斎、 南に朶雲軒あり」という言葉があるほど有名で、中国、日本、韓国など、多くの文人墨客が訪れる名店として知られています。
杭州の十竹斉の木版水印画も有名で、明末より特殊な技法を用いて古今芸術家の作品の複製を製作してきました。栄宝斎では店内の目立つ壁面に斉白石の作品を陳列し、同時に木版水印画を製作して低価格で大量販売しました。これによって斎白石の知名度が高まったため、斎白石は恩義を忘れず栄宝斎から依頼されれば無条件で作品を書いたという逸話が残っています。
これらの木版水印画には通常、作品のどこかに「栄宝斎」製作と解るように押印があるのですが、逆に言えばこの印が無ければ真贋の判別が困難になります。その方法は独特で、色が違えばその部分毎に版木を彫って刷るので、多彩な作品になると一点の書画で1,000回近く刷る場合もあるそうです。限りなく原画に近い顔料や墨を使って刷り、さらに印は実際に印材を刻して印泥で押印します。実際に栄宝斎が手掛けた斉白石作品の木版水印画は数百種類に及び、「斉白石出版社」と言う皮肉られるほどです。
さらにこれらは原作(肉筆)に酷似していて見分けが困難です。訪中した日本人書道家が本物の値段で購入して持ち帰った作品の多くがこの「木版水印画」なのです。
図版は実際の木版水印画で、斉白石、呉昌碩、傅抱石の複製です。渇筆の部分を見ると、実際に筆で書いたときに出来る渇筆と版木で刻して“作った渇筆”ではその出来栄えに違いが生じます。またニジミ部分も真筆と木版水印画の違いは、ニジミのエッジ(境目)の部分の圧縮痕をよく見分ける必要がありますが、刷り師の技能が高いと殆ど判別はかなり困難です。掛け軸に表装されていると難しいかもしれませんが、裏返して反対側から確認することもお勧めします。木版ですから微かに擦った後を確認出来るかもしれないからです。
いずれにせよ、読者の皆様は贋物をつかまされないようにお気をつけくださいませ。