老饕蘇軾(食いしん坊の蘇軾)-2
更新日:2022年03月15日
さて蘇軾と言えば米★(フツ)・黄庭堅・蔡襄とともに宋の四大家と称されます。蘇軾は二王(王羲之と王献之)の書を学び、後に顔真卿・楊凝式・李★(ユウ)を学びましたが、代表作は前述の「赤壁賦」と『行書黄州寒食詩巻』です。寒食とは冬至から数えて105日までは火の使用を禁じて、作り置きの料理を食す風習で、春秋戦国時代に晋の文公(重耳)の忠臣・介之推が焼死したことを悼むために一切の火食を禁じ、冷めた食事を取ったのが始まりです。
一首目「自我来黄州 已過三寒食」で、蘇軾が黄州へ左遷され3回目の寒食を迎えたことと、続く思索的、空想的な「臥聞海棠花 泥汚燕支雪」に繋がるのが特徴です。黄州寒食詩巻は二首120文字を16行に書いていますが、行が進むにつれて文字が大胆で太く、かつ大きく自由闊達となり、蘇軾の感情の高ぶりが伝わってくる特徴があります。これ程までに起伏豊かであっても全体の調和が保たれるのは、やはり日頃の修練であり、蘇軾の書に対する並々ならぬ度力と才能を感じさせます。
そして、詩の後ろには黄庭堅による跋文があり、蘇軾の弟子でもあり友人でもある黄庭堅は、
「東坡此詩太白似 猶恐太白有未到処
(この詩は李白に似ているが、李白も
この域には達していない。)」
と激賞しています。この跋文に対する評価も非常に高く、張金界奴など多くの収蔵家から一時は乾隆帝が蒐集しました。その後、民間に流出、1922年に日本の豪商・菊池惺堂の獲得したことは甲子(1924年)4月に記した内藤湖南の跋文で判明していますが、第二次世界大戦後には林朗庵仲介で王世杰が購入、逝去後に國立故宮博物院所蔵となりました。
中国〜日本〜台湾と大移動した本詩巻はまさに数奇な運名を辿りましたが、我が国とも浅からぬ関係があり、2014年に東京国立博物館で開催された「国立故宮博物院 神品至宝展」で展示された時には筆者も真っ先に拝見しに上京しました。印刷物では見つけ難い墨の濃淡、澄心堂紙に薄く引かれた罫線を無視した蘇軾の大胆な書きっぷりと、その罫線を一行置きに沿って記した黄庭堅の跋文の細部までをじっくり鑑賞した思い出があります。