心配する必要のないことをあれこれ心配することを「杞憂=取り越し苦労」と言います。出典は戦国時代(紀元前403年〜221年)の『列子』巻八「天瑞」です。『列子』とは、春秋戦国時代の列禦寇(れつぎょこう:河南鄭州人)の著とされる道家の文献です。
春秋戦国時代の著名な人物の多くは、司馬遷『史記』によって伝えられているのですが、残念ながら列禦寇は列伝を立てられておらず、その事績を知ることは出来ません。また、『列子』から、その人は乱世に巻き込まれることなく鄭国に40年間、隠棲した恬淡ということが分かりますが、実在の人物ではなかったとする意見もあり、その実像はわかっていません。そこに、
杞国有人憂天地崩墜、身亡所寄、廃寝食者。
杞の国に、人の天地崩墜し、身寄する所亡き
を憂えて、寝食を廃する者有り。
とあります。
周代にあった国の一つ「杞」は、杞国(現河南省杞県)の人が天が落ち、大地が崩れたらどうしようかとあり得ないことを心配し、思い悩み、寝ることも食べることも出来なかったということから、それを例えて「杞人の憂い」、「杞人天を憂う」と言い、無用な心配をすることから四字熟語辞典にも収録されている、列記とした「杞人憂天」といった四字熟語が生まれました。それを略して「杞憂」という語が出来ました。
実は『列氏』にはこのあと、さらに興味深い文が続きます。
次号では長蘆子(河南鄭州人)という賢人が説いた話と、杞憂について2つの考え方があることにも触れたいと思います。