孟浩然と杜甫が詠んだ二つの五言律詩は、洞庭湖を詠んだ二大名詩として古来人々に高い評価を受けました。孟浩然より一回り若く、彼を敬愛した李白(701〜762)も七言絶句「遊洞庭」、正式には「陪族叔刑部侍郎曄及中書舍人賈至游洞庭」を詠んでいます。「安禄山の乱」恩赦の通知を受け取った李白は、しばらく洞庭湖を眺めることの出来る岳陽に滞在しました。この詩はそのときのもので、眼前の広大な洞庭湖の景色と、洞庭ゆかりで伝説上の悲劇の女神・湘君の弔いを重ね合わせた名詩を残しています。
我が国で最初に原稿料のみで生計を立てたのは著述家・曲亭馬琴(1767年7月4日〜1848年12月1日)で、彼が盛年期の文化7(1810)年著の『胡蝶物語』で、
東坡は洒落て掃愁帚とし、梵(ぼ)さまは呼びかへて般若湯といへり
と著しました。蘇軾はお酒について洒落た言い方をしているが、坊主は言い換えしていると皮肉っています。まるでお酒は愁いを払うどころか新たな災いをもたらす。刃傷沙汰に至らなくても、憂さ晴らしからアルコール依存症になるとでも言いたそうです。
前述したように、よい飲み方は体にも健康にも心にも健康的です。またしても酒呑みの味方になってしまいました。