龍門造像記-1

更新日:2019年02月01日
伊水を挟んで対岸から見た龍門石窟(上)と古陽洞内部
 北魏が華北を統一し、隋が中国を再び統一するまでの間、中国には南北に王朝が並立していた時代があります。いわゆる南北朝時代(439年〜589年)は鮮卑族の拓跋氏族が建国した征服王朝で、書道的には漢文化の影響を受けたものの北族気風の特徴である健勁雄渾な書風という特色があります。北魏(386年〜534年)で最も重要な書は、造像記、磨崖、墓誌、碑などの石刻資料で、このうち造像記として最も有名なのは河南省洛陽市の南約14キロにある龍門石窟で、敦煌莫高窟、雲崗石窟とともに中国三大石窟と呼ばれ、中国ではいち早く2000年に世界文化遺産されました。
 龍門洞窟内に刻まれた造像記のうち、特に優れた20点を集めたもので、北魏の太和19年495年)から神亀3年(520年)に彫られた「六朝楷書」を代表する書風として知られています。磨崖仏には彫った動機や故人の冥福を祈る供養文、願い事を記した願文、そして年月や刻者、石仏や石窟を造った寄進者の名前が刻まれています。
 これらを「造像記」と呼びますが、洛陽の龍門造像記は数百点以上が確認され魏碑体や龍門体と呼ばれていますが、なかでも龍門二十品は特に書として特徴のある、価値の高い二十品を指します。
龍門造像記が書道芸術として注目されるようになったのは清代・乾隆時代(1735〜1795)以降で、当時の金石書家・黄易(1744〜1802)が白眉と評価した
 1.孫秋生等造像記〔景明3年(502年)〕
 2.始平公造像記〔太和22年(498年)〕
 3.楊大眼造像記〔不詳〕
 4.魏霊蔵薜法紹造像記〔不詳〕
の「龍門四品」でしたが、のちに以下の6点が追加されて「龍門十品」となりました。
 5.牛★(木偏+厥)造像記〔太和19年(495年)〕
 6.北海王元詳造像記〔太和22年(498年)〕
 7.高樹造像記〔景明3年(502年)〕
 8.広川王祖母太妃侯造像記〔景明4年(503年)〕
 9.比丘道匠造像記〔不詳〕
 10.比丘恵感造像記〔景明3年(502年)〕
 次号では、この後さらに10点が追加されて「龍門二十品」となりますが、その経緯を含めてご紹介したいと思います。
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