二つの故宮博物院-1
更新日:2015年05月01日
中国伝統文化や歴史に詳しい人でしたら誰しもご存知だと思いますが、故宮博物院は北京と台北の二か所に存在します。
まず、北京の故宮博物院は、500余年間、24人の皇帝が住んだ紫禁城として、中国全土の統治を行なった天帝の地にあります。明・清両王朝の宮殿建築と宮廷収蔵を基礎とし、前方に天安門、後方に景山、東に王府井、西に中南海という昔の皇室庭園が配置された様式は1961年に中華人民共和国国務院により全国初の「重点文物保護単位」に指定されました。1987年にはユネスコ世界遺産に認定された総合国立博物館です。
元々、「紫禁城」は中国歴代皇帝の宮殿ですが、孫文の「辛亥革命」によって封建帝制最後の清王朝が崩壊、紫禁城の当代世帯主であったラストエンペラー・溥儀を退去させ、1925年10月10日、清朝が宮殿内に所有していた美術品などを一般公開したのが始まりです。
当時、出版された「清室善后委員会点検レポート」によると、所蔵品総数は117万件、三代鼎彝、古代玉器、唐・宋・元・明時代の晝画、宋・元代の陶磁器、七宝、漆器、金銀器、木竹牙角匏彫、金・銅製佛像、織物、装身具、家具、さらに大量の図書典籍、文献資料など、まさに天下珍宝が数えられ、これらは古物館、図書館、文献館を設けて各種文物を整理する一方、宮殿内にも展示室を開設して多様な陳列を行ないました。
その後、満州駐留の日本帝国主義が中国東北地方を併呑し華北地方に攻め入ったため、国民政府(一九四八年からは中華民国政府)・蒋介石総統は博物院の重要文物を上海、南京へ疎開させました。
次号では疎開させた重要文物たちがどのように台湾へ逃れたのか、明らかになっている事実についてご紹介したいと思います。