二つの故宮博物院-2
更新日:2015年05月15日
しかし、1937年、盧溝橋事件によって抗日戦争が全面的に始まり、日本軍が南京へ進軍すると、今度は戦火から逃れるため四川省の巴県・峨嵋山・楽山の僻地三カ所へと避難させました。
第二次世界大戦後、疎開させた重要文物たちは重慶から再び南京・北京に戻されましたが、今度は国民党と共産党による内戦が始まり、劣勢に陥った蒋介石率いる国民党政府は、中国人民解放軍が揚子江を渡る直前の1948年末に南京倉庫から2,972箱もの故宮財宝とともに台湾へ逃れたのです。
その後、北京故宮博物院は5、60年代に清代宮廷の旧蔵品を改めて点検登録し直し、さらに募集、購入、個人寄付などを通して広く社会から22万件以上の文物を蒐集し、さらに宮中から民間散逸した文物の買い戻しなどに取り組みました。また、機会を新たにご紹介したいと思います。
台湾へ渡った所蔵品696,000点以上もの古代中国の美術品、工芸品は台北市北部の高級住宅街である士林区にある台北・国立故宮博物院のコレクションとなりました。その九割以上は清朝宮廷の蔵品で、幾多の戦火を潜り抜けた中華文明の神髄として大切に保存されてきました。
戦争、戦火、そして国内で散逸した美術品も数多くもあると言われていますが、それとは別に、第二次大戦中、絵画好きのドイツ軍・ヒトラーによって略奪された美術品もあるのではないかと言われています。
おぞましい戦争は、大切な人命だけでなく、人類の至宝をも奪ってしまったのです。