春秋戦国時代には、儒家、道家、墨家など、さまざまな思想を奉じる学派が現れ、総て「諸子百家」と呼ばれました。そのなかで、法律を整備することで富国強兵と君主の権力強化を図る学派は法家と呼ばれ、戦国時代終盤に為政者の注目を集めました。この法家の思想を大成したのは、「戦国七雄」のなかで最弱と言われた「韓」の公子に生まれ、儒家の荀子に師事した韓非(紀元前280〜紀元前233)です。荀子の唱えた礼(礼儀)によって教化する「性悪説」に対し、韓非は「礼」の代わりに「法」によって人々を管理するべきと考えました。
他人にすれば何でもないことなのに目上の人を激しく怒らせてしまう「逆鱗に触れる」があります。出典は『韓非子 説難』です。『韓非子』とは中国戦国時代(紀元前403〜紀元前221)の法家・韓非が著した全55編、10余万言から成る、分かりやすい説話から教訓を引き、権力の扱い方やその保持について説いた書物です。後生になり、三国演義に登場する蜀漢の丞相・諸葛孔明は劉備の遺児・劉禅の教材として韓非子を献上しています。この原文に逆鱗の部分があり、
夫龍之為蟲也 柔可狎而騎也
然其喉下有逆鱗径尺 若人有
嬰之者 則必殺人 人主亦有
逆鱗 説者能無嬰人主之逆鱗
則幾矣
とあります。
次号では韓非が説いた逆鱗の詳細と、彼を登用しようとした秦の始皇帝、それを阻止しようとした秦の宰相・李斯の関係についてもご紹介したいと思います。