逆鱗-2

更新日:2021年06月15日
李斯「譯山刻石」西安碑林
 要約すると
  そもそも龍という生き物は従順な性格
  であり、人が慣らしてその背に乗る事
  が出来る。しかし(81枚ある鱗のうち)
  龍の喉もとには逆鱗という一尺ばかり
  逆さに生えた鱗がある。もしそれに触
  れる者がいると、龍は必ずその人を殺
  してしまう。
  人間の君主にもまたこの逆鱗がある。
  君主の逆鱗に触れずに説く事が出来た
  ならば、成功を収める事も望めるで
  しょう。
 この王が定めた「法」が絶対であるとする韓非子の主張・思想に大いに感銘を受けたのが後に中国を統一する秦の始皇帝です。韓が秦に併合されるとき、韓非が弁明の使者として秦を訪れますが、始皇帝が韓非を登用しようとするのを妬んだのが秦の宰相で、ともに荀子に師事していた李斯(?〜紀元前208)です。
 韓非の非凡なる才能を熟知し、もし彼が登用されれば自分の地位は危うくなると考えた李斯は、韓非を祖国・韓王からの通謀(スパイ)とする讒言により投獄させ、さらに獄中の韓非を服毒自殺させたのです。こうして競争相手を抹殺した李斯は、秦の富国強兵策を積極的に推進し、その策により紀元前221年、遂に秦は中国を統一したのです。
 しかし始皇帝に郡県制実施、文字(小篆)統一、焚書・坑儒など重要政策を諫言、二世皇帝擁立にも尽力した李斯ですが、宦官の趙高と対立した末、紀元前207年、造反の疑いにより一族もろとも三世代に亘る「腰斬の刑」として公開処刑されました。
 「非常の書」とも呼ばれた韓非子に見る「逆鱗に触れる」は、漢語で「嬰(えい)鱗[嬰:ふれる意]」とも言います。逆鱗は人それぞれですから、人間関係を円滑に進める上で、それぞれの逆鱗を察知しておかないといけません。
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