張本と聞けば、僕らの世代は元プロ野球選手でかつての強打者、張本勲が浮かびます。スマッシュが決まると「チョレイ!」の雄たけびをあげる張本智和を想像する人もいるでしょう。しかし『大漢和辞典』で「張本」を引くと、「後に書く文章の本となるものを前に記したもの。伏線」とあります。張本は「本を張る」、つまり「伏線を張る」ことから伏線の意でも用いることです。物事の経過を述べる時、予め結論に繋がるように伏線を張り、結果を見てから遡って伏線だったと使います。注者が事件発端の伏線部分に書き入れることが多いです。張本の具体例として三つの用例が挙げられます。
1.『春秋左伝』隠公5年「翼侯奔随」の注に、
晋内相攻伐不告乱、故不書、伝具其事、
為後晋事張本。
とあり、内乱があった晋時代に魯に告げなかったことから『春秋』本文には記載がありませんが、伝では内乱の一部始終が記載されています。四句目「為後晋事張本」は「後の晋の事の張本を為す」、つまり「張本」を「伏線」として用いています。
2.白居易の「六讃偈」にある「為来世張本」にもあり、こちらも「来世の張本を為す」と用いています。
3.蘇軾の「前赤壁賦」にある「少焉月出於東山之上(しばらくして月 東山の上に出づ)」の注に、「前言清風、此言月出、一篇張本在此」があり、賦一篇の伏線がここにある、という意味に用いています。
次号では張本から派生して生まれたのか、「張本人」という言葉についても言及します