蘿蔔(だいこん)-2
更新日:2022年09月15日
後世、八仙人の一人に数えられた唐代の隠遁者・張果老にまつわる蘿蔔故事があります。彼は道術に長じ、長寿の秘訣を知っていると言い伝えられています。子供の頃に大根泥棒をして畑の持ち主に叱られ、それを殷という男に助けられました。
のちに神話、伝説の女神・西王母の晩餐のとき、「人間界の地梨=大根にはおよばない」と言ったことから西王母の命で天上に大根を植えるよう命じられます。彼は殷の畑の土を畑の土として持ち帰ろうとしますが、途中で地上に落としてしまい、それが揚子江に積り湖州になったと言われています。仕方なく張果老は湖州で大根を作りますが、三日に一度最も大きい大根を西王母に献上したので湖州大根は三年に一度大きくなると言い伝えられています。
中国史上唯一の女帝である武則天[武徳7年1月23日(624年2月17日)〜神龍元年11月26日(705年12月16日)]は国号を唐から周に改め、国都を洛陽に定め、自らの尊号に聖神皇帝と定めました。洛陽と言えば「洛陽の三大絶品」として龍門石窟、ボタン鑑賞、洛陽水席の三つが思い浮かびます。その洛陽水席は正式に「国家級無形文化財」に登録されましたが、中国の諺に「天下没有不散的宴席(世の中に終わらない宴席はない)」というのがあります。
武則天は大根スープが大好物で、刺身のケンのように細く切った大根を浮かべるので、燕の巣に見立てた「仮燕菜」と名付けた料理があります。終わらないはずの宴会である洛陽水席は唐代から今日まで1000年も受け継がれています。
周恩来も仮燕菜が大好物で、牡丹の花の形に形作られた大根スープにいたく感動し「牡丹燕菜」と名付けました。武則天と周恩来の二人が1000年の時を隔てて命名した名菜「牡丹燕菜」、久々に洛陽に行って伝統的名物料理を堪能したい気持ちになっています。