呉越同舟-1

更新日:2023年06月01日
当初の銀雀山漢墓竹簡博物館(上)と現在の同館

 呉越同舟とは、仲の悪い者同士が同じ場所に居合わせたり、共通の利害のために協力しあう、また行動を共にすることを言います。出典は『孫子』第十一篇「九地」で、「正々堂々」、「百戦百勝」、「風林火山」などの句も『孫子』に載っています。呉越同舟はそこにある故事に由来する四字熟語で、原文は、
  夫呉人与越人相悪也、
  当其同舟而済而遇風、
  其相救也、如左右手。
とあります。
 呉と越は中国・春秋時代に父祖以来の宿敵で、互いに憎しみあい、三八年にも及ぶ戦争を繰り返していたそれぞれの国名です。「同舟」は、同じ舟に乗ることから転じて、同席することを意味します。『孫子』にはもし呉人越人が同じ舟に乗り合わせて暴風に襲われて舟が転覆しそうになったとき、呉人も越人もお互いに遺恨を忘れ、まるで左右の手のように協力し、危機を乗り越えるものである」とあります。
 ここから、敵同士でも共通の目的や困難を乗り越えるために協力することを「呉越同舟」と呼ぶようになりました。
 『孫子』は紀元前500年頃の中国春秋時代に、軍事思想家孫武の作とされる兵法書で、古今東西の軍事理論書で最も著名なものの一つです。紀元前5世紀中頃から紀元前四世紀中頃に成立したと推定されていました。
 ところが1972年に中国山東省臨沂県銀雀山にある前漢時代初期の墓から『孫子』・『孫★兵法』の竹簡の双方が出土したことから、様々なことが明らかになっていきます。
 次号では今なお謎である孫子の成立時期、そして現代社会に「呉越同舟」を置き換えて考えてみたいと思います。

★…月+賓

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