江戸時代の庶民の教養は「読み・書き・そろばん」でした。武士階級は漢学を修めることが素養でしたので、その延長として漢字のお稽古を書道として修めました。芥川龍之介、菊池寛、山本有三など大正時代の「教養世代」における教養は、身に付けていなければ恥とされました。知識を取り入れるために貪欲に本を読みあさった世代であり、本の読み方が現在とは決定的に違っています。
皆さんが学ばれている書道に置き換えてみますと、漢字は、画数が多いことと、書くときは文意に合わせて漢字を選び、読むときは読み方と意味の理解が必要ですので大仕事です。そして書道は「文字そのものの文化」と「文字を書くことの文化」の両面があります。
具体的には書道の歴史や書体の変遷を学ぶ学書と、古典や先人の書を学ぶ学書と言えるでしょう。初学者は書く上での技術的な面を中心に習いますが、上達するに従って辞書や書籍などを通して書道史など周辺の知識を身に着けるとともにアート感覚や空間感覚、言葉に対する解釈力など深遠な世界にまで踏み込むべきです。
いつまで経ってもお手本ばかりを真似ていては教養が身につかず、書く技術のみで一人得意になっていても論理的な内容を見る実力が備わらないと、教養の無さとして露呈していまいます。
書道は永らく教養人に書かせない素養とされてきました。達筆であることは「書は人なり」とまで言われ、その能力だけでなく書き手の人柄さえ表すものと考えられてきたのです。だからこそ学校教育の中で書道が必修科目とされてきました。毎日の練習は、基本動作の反復や基礎練習が中心ですが、これらを日々積み重ねて行くことにより精神も鍛錬され、心が整っていくといえるでしょう。