「詩」と「詞」-1

更新日:2024年10月01日
詩経と楚辞

●詩経と楚辞

 書道をされる方は中国古典の名文を題材に作品化されることが多いと思います。その題材に用いられる韻文は、一定の韻律(規則)に則って書き表された文章です。多くは詩に用いられますが、一定のリズムで暗誦するのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に使われてきました。韻文文学の歴史は、先秦時代の『詩経』、『楚辞』から始まり、後漢後期に五言詩が生まれ、後に七言詩とともに最も主要な詩形となりました。唐代には絶句と律詩が完成し、中唐に始まり北宋になると隆盛したのが詞といわれる新しい形式の韻文文学が発生しました。余談ですが、和歌、漢詩、連歌、連句、四行詩、脚韻詩などの韻文詩なども韻文に含まれます。
 さて中国の韻文文学の最高峰は、唐詩と宋詞といわれていますが、みなさんは「詩」と「詞」の違いを説明出来るでしょうか。詩は「sh?」と発音し、風景や感情などを一定のリズムに乗せて文字数定型のもので、「五・七・五・七・七」で構成される短歌や「五・七・五」の俳句も詩に分類されます。短歌や俳句のように一定のリズム、形式に沿った詩を「定型詩」、決まりがなく自由に書かれたものを「散文詩」といいます。対する詞は「ci」と発音し、は主に楽曲に合わせて歌われる文章のことで、決まりはなく自由に作られます。
 今号では詞の名人についてお話ししたいと思います。五胡十六国時代、最も栄えた南唐の都は現在の南京で、長江流域を支配し、江南の富を背景に唐代貴族文化を誇ったとされています。女性の纏足の風習も南唐から始まったとされていますが、その南唐を滅ぼしたのが宋です。南唐第三代で最後の国主・李U[昇元元年7月7日(937年8月15日)太平興国3年7月7日(978年8月13日)]が詠んだ「烏夜啼」は前代までの五言詩や七言詩と違って字数は一定ではありませんが、音曲に合わせて歌えるようになっていることから「詞」と呼ばれるようになりました。宋代に隆盛を極めた詞は、南唐時代にその発芽があったと言えるでしょう。
 次号では宋代を代表する女流詞人・李清照とその作品についてご紹介します。

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