蘭亭偽作説-2

更新日:2016年05月15日
郭抹若(左)と祁小春著「王羲之論考」
 さて、ここから本題に入ります。中華人民共和国における暗黒の10年と呼ばれた文化大革命直前、「蘭亭偽作説」がもてはやされました。発表したのは郭抹若(1892年〜1978年)で、その論旨は、王羲之と同時代の墓誌が南京で出土したし、西域から出土した三国志の書体が、蘭亭叙の書風との違いを指摘しました。蘭亭の行書や草書は6世紀以降に出現する書体としましたが、スタインやヘディンが発掘したトルファンや楼蘭の断片のなかに草書例や、楼蘭「楼」字の行書例が、さらに最近ではさらに前代の楷書まで発見されたことから、根拠のない論証となりました。
 ヘディンの資料は郭氏もみたはずで意図的に無視したと言われています。また、5世紀に「世説新語」の注釈に引用された文章と蘭亭序の内容がかなり違っていることから、文章自体偽作との指摘をしましたが、 李文田説の蒸し返しであり、多くの草稿例がある事実から、こちらも根拠の無いものとなりました。
 当時、文革の権力闘争で右派は抹殺されましたから、古来権威への偶像破壊を行うことで自己保身と毛沢東の庇護を受け、そのため蘭亭偽作説は知識人の思想改造成功例として取り上げられています。踊らされた日本の専門家や評論家はいい道化でしたが、さすがに現在はこの偽作説を信奉している人はいなくなりました。
 蘭亭叙を「集字」ではなく「真筆」にしてしまった通俗的書道史を考えるに、三国志演義に史実が反映されたため、歴史的事実としての三国志はまた別というのと同様と考えられます。蘭亭叙にも史料を加味した伝説のままで終わらせていいものかは別問題でしょう。
 ちなみに「蘭亭偽作説」については郭沫若以外にも、近年、祁小春氏が発表した「王羲之論考」で、蘭亭叙の文章面から詳細に考察を加え、諱の内容から「文章自体が後世の捏造」と疑義を呈しています。
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