この号が出る頃はまだ残暑厳しき日々が続いていると思われますが、暦の上では「立秋の候」です。
日本語の「秋」の語源には諸説ありますが「禾偏(のぎへん)」に「火」と書かれることから、代表的な「空」説、「収穫」説、「草木」説の三つがあげられます。古代日本は農耕社会であり、秋は最も大切なのは穀物の収穫の時期です。秋の編は「禾」、つまりイネをたくさん穫り入れ満ち足りる季節、そこから「秋」字が出来たとする説が有力でしょう。
種を植える季節の「春」と、収穫の季節の「秋」を合わせて「春秋」と表記されることがあります。この「春秋」は歳月を意味し、『史記』齊悼惠王世家では、
「皇帝春秋富 皇帝、春秋富む」
つまり、まだたくさんの時間が残されているということから、まだまだ若い、大いなる未来があるという意味に使われます。
逆の例を挙げると、『漢書』蘇建傳では、
「陛下春秋高 陛下、春秋高し」
つまり、ご高齢であるという意味になります。我が国では大正12年、菊池寛が創業した総合出版社「文藝春秋」も会社が長く続くようにという歳月の願いも込められていると思われます。
さらに「秋」一字だけで歳月を表すこともあります。「千秋」は千年を意味するので、「一日千秋」は一日が千年もの長さに感じると言う意味です。
次号では「千秋」からさらに長い「万歳」のルーツと書道家には知っておいてもらいたい諸葛亮「前出師表」のお話にも触れたいと思います。