秋天-2

更新日:2016年09月15日
成都;・漢昭烈廟「前出師表」
 漢代瓦當「千秋万歳」のように、千年万年、長寿を祝うという意味でも使われましたこの「千秋万歳」には年老いた皇帝の今後について重臣たちが相談をする際、「今上亡き後」などとは口が裂けても言えませんから、その場合、「千秋万歳の後」と表現しました。余談ですが、この「まんざい」が現代の「漫才」のルーツであると言われています。万歳は元々「千秋万歳」の後半を取ったものですが、一万年で皇帝の寿命を示す言葉であったことから、皇帝に対して以外は使われませんでした。実際に臣下が皇族や諸侯の長寿を願うときは「千歳」を使っていましたようです。
 日本で万歳が使われたのは大日本帝国憲法発布の日、つまり1889年(明治22)2月11日、青山練兵場で臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かい、万歳三唱したのが最初と言われています。
 さて、「秋」には大変重要な「この瞬間」的な意味もあり、諸葛亮「前出師表」にある「危急存亡の秋」と使う場合があります。この「秋」は「とき」と読ませるのですが、危険な事態が目前に迫り、生き残るか滅びるかの岐路に立つ状況を指します。諸葛亮は、三国時代(181〜234)の蜀漢軍師で、出師は軍隊を出すこと、師は軍隊、つまり「前出師表」は建興5年(227)、諸葛亮が臣下の出陣する際に蜀漢の皇帝である劉禅に奉った公文書を指します。
 書道の手本としてはよく「前出師表」が用いられますが、岳飛が書き残したものが成都;・漢昭烈廟、五丈原・献殿両壁に刻されていて、拓本を求められる愛好者が多くいます。端正な書き出しから始まる筆跡が、筆が進むとともに感極まり、行の揺れに感情が表された躍動感溢れる名筆として知られています。
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