作字と基本古典-2
更新日:2017年02月15日
次に「集字聖教序(大唐三蔵聖教序とも)」は、唐の第三代皇帝、高宗(649年〜683年)の時代、宮中に秘蔵していた書聖・王羲之の遺墨から、太宗の撰文『答勅』、高宗の序記『牋答』を添え、さらに玄奘の訳した『般若波羅密多心経』に必要な文字1,904字を集めて碑に刻し、長安の弘福寺の境内に建立しました。書の名品としても名高く、現存最古の法帖でもあり、原碑は西安碑林博物館に保管されています。病気がちだった高宗にとって、政治における主導権を発揮出来ず、最初は外戚の長孫氏に、晩年には皇后となった則天武后に政治の実権を委ねてしまい、高宗の死後、「武韋の禍」という危機を招いたのです。
さて、唐の太宗が玄奘三蔵の業績を称えて撰述文の集字には、羲之没後30年経過しており、偏と旁を組み合わせたり、点画を解体して組み立てたりするなど困難を極め、完成に25年を有したと言われています。この大変な作字作業を行ったのは出家書家である沙門懐仁(生卒年不明)でしたが、偏と旁の組み合わせ、前後の流れ、左右の空間などに微妙な不自然さがあるため気脈の貫通に欠けと指摘されるものの、精彩に富んでいて王羲之の真跡に近いと評価されてきました。
鐫刻(せんこく)した朱靜藏の刻法は、鋭利な刃物で一点一画を一挙に刻しており、1300年経過した現在も、当時のまま保存されていますので、機会がありましたら、是非、ご覧いただきたい当代随一の「労作」です。