趣味人皇帝-2

更新日:2015年01月19日
徽宗筆『芙蓉錦鶏図』(北京故宮博物院所蔵)
 ところが、宋の第八代皇帝・徽宗(1082年11月2日〜1135年6月4日)は、政治家としては全くといっていいほど無能な皇帝でした。芸術分野においては独特の書風「痩金体」を創出し、世界的一級品とも称される精密な写実的院体画の作品を残しましたが、在位期間25年間、自らの趣味や贅沢のため民衆に重税を課したのです。
 典型的な趣味人皇帝として「風流天子」とも呼ばれた徽宗が蒐集した書画は6,400点、古書に至っては73,000巻にまで及びました。また、南方から「花石綱(かせきこう)」と呼ばれた、庭園造営のために珍花・名木・奇石などを調達させ、そのために巨額の国費を浪費しました。北方の異民族が虎視眈々と中原の地を狙っているにもかかわらず、結局は政治という現実から逃避し、国家財政健全化のための税法まで私的理由で改悪するなど悪政を繰り返したため、1127年、金軍によって開封は陥落、ついに北宋は滅びました。
 漢民族のみならず周辺異民族まで、身分は皇帝から庶民に至るまで、中国伝統文化の存在は、民族の奥深くにまで道徳や社会秩序として浸透させるものでした。皇帝自らが中国伝統文化の理解保護に努め、その使命を持つならば、唐の太宗や清の康熙帝のように、中国史上の賢帝として末代まで尊敬されたはずです。しかし、徽宗のように個人的趣味の域を脱せず、暗愚の帝として、また恐るべき暴君として、民を苦しめるだけの皇帝であるなら、やはり天命により厳しい評価を下されるのです。
 皇帝がいなくなった現代中国においても、この原則は変わらないと言えるでしょう。
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