| 陳介祺、字は寿卿、またの字は酉生、号は伯潜。青銅器の★(ホ)を得たことから居室を「宝★(ホ)斎」と名付け、以後、?斎を号とした。山東省★(イ)県の人で、清の嘉慶18年(1813)に生まれ、光緒10年(1884)に没した。道光15年(1835)に挙人、道光25年(1845)には翰林院編修に至り、咸豊4年(1854)、42歳のときに官を辞し、故郷の★(イ)県に帰った。彼の事跡については、陸明君氏の『★(ホ)斎研究』(栄宝斎出版社)に詳しい。
陸明君氏(「★(ホ)斎事略」『金石書学』第10号)は、陳介祺について「最も豊富な収蔵、最も正確な鑑定、最も優れた採拓、さらに古器物および銘文の考釈においても多くの独創的な見解をもち、清末の金石学における傑出した人物と呼ぶにふさわしい」と評価する。
図版の拓は漢時代の鏡で、「★(ホ)斎蔵古」「二百竟斎蔵竟」印が押されている。1997年12月、江蘇廣陵古籍刻印社から発行された『★(ホ)斎蔵鏡』に同じ鏡の拓が「尚方鏡」として収録されている。同書の出版説明には、陳介祺の収蔵に古銅鏡170方あり、精拓108枚を友人に送ったものを、民国年間に丹徒の劉建叔が印行したことがある。それを再び影印したという。
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