その後の北京・故宮博物院-1
更新日:2015年07月01日
以前、「二つの故宮博物院」というタイトルで、北京の故宮博物院の蔵品が戦争戦火を経て台湾に運び出され、後に台北国立故宮博物院が建てられた経緯についてご紹介しました。
その後、故宮博物院は1950〜60年代に清代宮廷の旧蔵品のなかから文物登録のチェックと修正、そして漏れを補いました。具体的には廃棄物として包まれていた薦にある象牙筵、漱芳斎舞台の下に置かれていた唐代蘆稜伽の「六尊者像」冊などの文物が発見されたそうです。さらに文物の鑑別、分類を行ない、より正確な管理資料を作成しました。
10年以上もの整理で71万件以上もの清代宮廷蔵品が確認され、さらに故宮蔵品の不足を補充するため、民間から募集、購入、個人的な寄付などを広く募ることで新たに22万件以上の文物を補充しました。特筆すべきは、石器時代の彩陶、商・周時代の青銅器、玉器、漢代の陶俑、南北朝時代の石像、唐代の三彩など、そして最も人々の注目を集めたのが古代の書画名品でした。
例えば、晋代の陸機「平復帖」、王c「伯遠帖」、杜牧「張好好詩巻」、張擇端の「清明上河図巻」、宋代の張先「十詠図卷」、金代の迺賢「城南詠古詩」など、どれも国宝ともいうべき珍奇精品資料です。
さらに故宮博物院は多額の予算を組んで、宮中から民間に流失した文物を買い戻しました。具体的には明代の沈周「倣黄公望富春山居図卷」、清代の石涛「高呼と可図」は、溥儀が溥杰に褒美として与えたものでした。同時に故宮博物院は5、60年代から、膨大な貴重文物に対して、防湿、防虫などの対策のための改修工事を行ない、さらに90年代には、温度、湿度を自動コントロールし、防災・警備など近代設備を備えた現代的倉庫に仕上げたのです。
次回は昨年、大好評だった「台北國立故宮博物院−神品至宝−」展について」触れておきたいと思います