蕩佚とは細かいことにこだわらず寛大であることです。官僚の統治上の政策論、方法論上の教訓として知られますが、人間関係、組織管理にもとても参考になる言葉です。余談ですが、前漢の一代記「漢書」を20年もの歳月をかけて作成し、三代目皇帝章帝に提出し
さて、斑超が部下を激励した言葉に、
「不入虎穴、焉得虎子(虎穴に入らずんば虎児を得ず)」
があります。
出典は同じく『後漢書』班超伝の一節で、西暦73年、班超42歳の時に、匈奴に実効支配された西域を回復する為、明帝勅命により北匈奴征伐軍に参軍する機会を得た班超は、この千載一遇のチャンスを生かし、多くの首級を挙げます。さらに匈奴の使者及び軍隊員数百名を襲撃したのは僅か36名の班超軍ですから、部下が怖気づいてしまいます。
そこで班超が部下を叱咤激励した格言が前述の 「不入虎穴、焉得虎子」です。危険な事を行なわないなら成功できない事の例えとして古くから知られる成句です。結局、班超軍は匈奴の使者の宿舎を焼き払って全滅させます。震え上がった鄯善王は後漢に屈服、忠誠を誓います。以降、班超の勇名は西域全土に広がったとされます。
102年(永元14年)8月、洛陽に帰還した班超ですが、その僅か1か月後の9月に故郷で享年71の生涯を閉じました。写真は1996年に完成したカシュガル盤橐城にある班超記念公園に建立された「班超像」で、西域都護府は漢や唐など歴代王朝が辺境の異民族統治の為に置いた軍事行政機関であり、その運営を任された人物の像をカシュガルに設置する慣習となっています。