中国思想史、仏教史上、最も輝かしい人といえば玄奘三蔵が挙げられます。孫悟空、沙悟浄、猪八戒を引き連れて、天竺まで経典を取りに行く道中の活躍で親しまれる明代・呉承恩の小説「西遊記」の三蔵法師のモデルとして知られる唐代初期の僧侶です。鳩摩羅什(クマラジューヴァ)、真諦(パラマールタ)とともに中国仏教三大翻訳家として、そして西域インドを旅して645年に帰国、経典657部、舍利、仏像など、さらに異国の見聞を持ち帰った旅行家としても知られます。また、インドへの旅の模様は地誌『大唐西域記』として著しました。
中国唐代の玄奘(602〜661年3月7日)は、父・陳慧は科挙合格の英才で江州長官、母・宋氏は洛州長吏を務めた宋欽の娘という名門貴族の元に四男として生まれました。玄奘は戒名であり、俗名は陳★、諡は大遍覚で、尊称は法師、三蔵など。玄奘三蔵と呼ばれました。10歳で父を亡くした陳★は、次兄の陳素(長捷法師)の影響で出家し、洛陽の浄土寺に住み仏の道に進みます。13歳で隋代煬帝によって、洛陽で一度に27人の出家得度を認める一人に選ばれ、法名「玄奘」と法衣を賜ったとされています。天下の乱れた隋代晩年、戦禍から逃れるために現在の陝西省、蜀の成都、湖北省、湖南省、江蘇省、安徽省と、仏教修練の旅に出ますが、満足出来ない玄奘は、天竺(インド)を目指します。
しかし、唐王朝成立して間もない時期であ3年(629)、甘粛仏教界の領袖恵威法師は玄奘のために弟子を遣わせ、国禁を犯して密かに出国、役人の監視を逃れながら、何の装備もなしにシルクロードを西へタクマカラン砂漠、パミール高原カラコルム山脈の険しい山越えをし、現在のキルギス、ウズベキスタンという中央アジアに進んで行かなければならない実に過酷な旅に出ました。
次号では千辛万苦の末に天竺に辿り着いた玄奘の帰国後について、詳しくお話ししたいと思います。
★…ネ+韋