人生大病只是一傲字-2

更新日:2024年08月15日
昭烈帝劉備肖像
 その当時、新儒教として学術思想界の主座にあった朱子学の論理構造を批判的に継承した彼の実践的儒学は、陽明学として結実しました。近世以降の中国のみならず、日本には1614年に紹介され、大塩平八郎、西郷隆盛、植木枝盛など、変革者たちの理論的背景となった日本思想史において多大な影響を与えた思想です。
 「傲」は、自分の能力や才能を鼻にかけて人を見下す意で、「謙虚」の反対語にもなります。王陽明は人生の最大の病気は、この「傲」の一字に尽きると言い切ります。さらに、「子となって傲なれば必ず不幸。臣となって傲なれば必ず不忠。父となって傲なれば必ず不慈。友となって傲なれば必ず不信。」、つまり「傲」には善い所はないと説いています。
 では「傲」にならないためにはどうすれば良いのか、王陽明は「無我」になることだといいます。「無我になれば自ずからよく謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆悪の魁なり」、偉くなればなるほど勘違いしてしまうことが多くなります。謙虚であることが、自分自身を成長させてくれるというありがたい教えです。
 三国時代の蜀漢の初代皇帝であった武将・劉備[延熹4年(161年)〜章武3年4月24日(223年6月10日)]は、常に謙虚と信頼をもって部下に接したとされます。自身の子・劉禅にあてた遺言に「惟賢惟徳、能く人を服す」、つまり、偉ぶったり、上から目線ではなく、「賢と徳が人を動かす」と記し、「賢と徳」を身につけるためには、人の上に立つ者自らが人間力や魅力を身につける努力をしなければならないと説きました。仕事が出来る人になるには、滲み出る「魅力」を身につける努力が必要ということなのでしょうね。
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