啓蟄と驚蟄-1

更新日:2018年02月01日
桃源郷、こんな景色なんでしょうか
 寒い日が続いております。この原稿をお読みいただいて程なくすれば3月で、旧暦で言えば1月後半から2月前半になりますが、今年は3月6日が二四節季の一つ「啓蟄(けいちつ)」 になります。
  「立春」から「雨水」を経て3番目にあたります。啓蟄は春の季語で「啓」とは「開く」と読み、「自己啓発」にあるように「教える」や「明らかにする」の意、「蟄」は「隠れる」、「閉じこもる」、「ひそむ」などの意味ですから、「冬ごもりする虫」を指し、よって「啓蟄」とは、陽気に気づいて「冬籠りの虫が這い出る」という意味になります。時代劇で「蟄居閉門の罰に処する」という台詞でご存知の方もいらっしゃるかと思います。
 また、「七十二候」7番目の候で、明治に定められた略本暦では「蟄虫啓戸」となっています。中国では「桃始華」、桃の花が咲き始める頃ですが、東晋末〜宋初の詩人・陶淵明の散文作品「桃花源記」は、道に迷った武陵(現・湖南省)の漁夫が、秦の戦乱を逃れて外界と断絶した桃林奥にある平和で豊かな村を見出した話です。老子の小国寡民の、後に理想郷を称して桃源郷と呼んだユートピア思想です。春が近づいてくると、このような有名は小説、漢詩、俳句などが出てきます。
 中国と日本の二十四節気で、ただ一つ異なるのが「驚蟄」です。日本では「啓蟄」と表記されます。啓蟄は、古代中国の周王朝時代に成立した『礼記』月令の「蟄虫始振」にある古い言葉ですが、それは漢王朝六代皇帝である景帝(前188年〜前141年)が逝去した際、その諱が「啓」であったため、避諱して意味が似ている「驚」の字を代用したことに由来しています。父文帝同様、漢の基盤を固める善政を行った人です。
 次号では中国と日本でなぜ「啓蟄と驚蟄」と表記が変わってしまったのかについてお話しします。最後にまたまた脱線しますが、お楽しみに。
←前へ 目次 次へ→