漢代が終わり唐代になると、「啓」字を避諱する必要がなくなったため「大衍暦(たいえんれき)」で「啓蟄」に戻されましたが、この頃に日本に二十四節気が伝わったとされています。しかし、使い慣れたという理由から、再度「驚蟄」に戻されたため、中国と日本では表記が違っているのです。漢字文化圏諸国では、いずれも二十四節気の暦法を用い使っていますが、日本だけが唯一、本来の漢字表記である「啓蟄」を使っているのは伝来時期にあるのです。
さて、日本では啓蟄の日にこれといった習慣などはないのですが、和風庭園では、冬の風物詩とも言える、冬の間、マツカレハなどの害虫対策として松の幹に巻き付けた藁の菰(こも)をはずす「菰はずし」がありましたが、最近はその効果に疑問符があり、すっかり見なくなりました。もう一つは、ひな人形を例に取ると、一つ前の二十四節気「雨水」の頃に飾り始め、啓蟄の日にひな人形を片付けるのが良い時期とされています。また、蟄のように長い受験勉強で力を蓄えた受験生が、いよいよ力を発揮する時期でもあります。
虫と言えば、人の心の心に棲む虫がいます。「虫の知らせ」や「好奇の虫」などはいいとして、好かれない例に「虫唾が走る」、「虫が好かない」、「腹の虫が収まらない」などがあります。「春秋左氏伝」に「病、膏肓(こうこう)に入る」があります。春秋時代、晋国君主の詞(れいこう ?〜紀元前573年)が病気になったとき、病気の虫が二人の子供に化けて相談した内容が、名医に見つからない「膏の下、肓の上」、つまり「心臓の先端部と心臓と横隔膜の間」に隠れれば、針も灸も届かないと話したそうです。この故事から、趣味などに熱中して抜けられないことを「病、膏肓に入る」というようになりました。勉強、膏肓に入るくらいになりたいものですが、お後がよろしいようで。