春天的晩上的情緒(春の夜の情緒)-2

更新日:2018年03月15日
王安石記念館前(江西省)の王安石像(左)と蘇東坡記念館前(杭州)の蘇軾像
 次に、蘇軾の「春夜」とともに春の夜の情緒を描いた詩の双璧とされるのが、王安石[1021年(天禧5年)〜1086年(元祐元年)]の『夜直』です。
  金爐香尽漏声残
  翦翦軽風陣陣寒
  春色悩人眠不得
  月移花影上欄干
 宮中学士院で宿直(とのい)をしていた王安石ですが、翰林学士は毎夜交替で宿直したので、この詩は1068年(煕寧元年)春の作とする説があります。韻脚は「殘」、「寒」、「干」で、香が尽き、漏声(水時計)の音が消え、月の移動で花の影が欄干に移るなど、時間の経過が分かるよう、情景描写、心理描写が見事に表現されています。
 七言絶句は北宋第一と言われた王安石は、用語、構成を入念に考え、巧みな典故と知的で精緻な詩風が特徴で、結句「月は花影を移して欄干に上らしむ」は特に有名ですが、「花影」は改革が緒に就き始めたことを端的に詠んだものとされています。
 二人が生きた当時は新法を掲げた王安石が行政大改革を行ったため、新法派と旧法派の争いが絶えなかった時代です。新法に批判的だった蘇軾は出世から外れた地方官となりました。
 1084年(元豊7年)、流罪先が汝州に変更された蘇軾は、汝州へ向かう途中、金陵(現南京)に隠棲していた王安石を訪ねています。病床にあった王安石は蘇軾の訪問を喜び、王安石は「北山」詩を、蘇軾は次韻して「次荊公韻」詩を贈り合いました。
 総裁と地方官ではあまりの地位が違いますが、二人がともに欧陽脩を生涯の師として仰いだこともあり、惜しむらくはもう10年早く、詩を通じて心を通い合わせたかったことでしょう。
 時間の経緯について、日本でも昔は夕方から明け方までを、夕、宵、夜、夜更、暁、曙、朝など、明確に意識していました。現代人には宵と夜、暁と曙など区別する感覚はすでにないと思われますが、蘇軾と王安石に敬意を表しながら、古来日本人の心にある春の印象風景を楽しみたいものです。
←前へ 目次 次へ→