敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【臘八粥】VOL.1


●「大竈王」の年画より

 中国七大祝日のなかでこれまで6つの祝日をご紹介してまいりましたが、今月号でついに7つ目の祝日をご紹介することとなりました。もう皆さんもご存知だと思いますが、中国のお正月は旧暦で行なわれるため、毎年1月下旬から2月上旬に迎えます。ところがその正月を迎える前には実は準備期間があるのです。
 旧暦の12月は臘月ということから、12月8日を「臘八」といいます。「臘」は「合」を意味しており、すなわち新しい年を迎えるに際し、昔今をつなぎ合わせることを目的として、昔、天と地、神と霊を祀る「臘祭」、祖先と現在をつなぎ合わせるための「合祭」を催したようです。臘はまた「猟」の意味も持ち、原始社会の祖先崇拝を目的とした野獣を捕まえて先祖にお供えしたという遺習もあるようです。
 古代の臘日については梁宗懍の「荊楚歳時記」に、「12月8日を臘日といい、『臘鼓を鳴らせば、春草生ず』という諺あり。(中略)金剛力士に化装して疫を払う」との記載があります。つまり昔は12月8日、またはその前日に、金剛力士などに化装し、踊りながら臘鼓を打ち鳴らせば、厄除けとなり、邪気を払えるものと考えていました。
 「臘八節(ラパジェ)」とは漢民族の伝統的習慣で、春節前の旧暦12月8日に、米、粟、ナツメなど八種類の穀物で作ったおかゆ「臘八粥」を食べる習慣のことをいいます。この臘八節には諸説があり、昔苦行を求めたお釈伽様が飢餓と疲労で倒れたとき、たまたま通りかかった羊飼いの娘が与えた羊乳の粥のおかげで元気を取り戻し、そして菩提樹の下で悟りを開いたという故事が起源のようです。農村部では、一年の農業が無事に終わったことを感謝して神と祖先を祭り、そして翌年の豊作を祈願して行なうこの行事のことを臘八粥といっています。
 中国の僧侶が臘八粥を食べるようになったのは、今から千年以上前の宋代からはじまったようで、『天中記』には「12月8日に七宝五味粥を送り、臘八粥と称す。(中略)民間も争ってこれに習い広く伝わった」とあります。また北宋時代の詩人・蘇東坡は「今朝仏粥更に贈答しあう」という詩句を詠みました。清代になると、臘八粥を食べる風習はさらに盛んになり、宮廷では皇帝が大臣たちや侍従、宮女などに臘八粥を与え、また寺には米や果物などを寄進したようです。この日ばかりは各寺院の僧侶たちも盛大な読経法要を行い、お釈迦様を祭ったようです。