【中国盗掘事情】VOL.1
●1984年発見の茅村漢画像石墓内と「盛世吉金」出版
「蘇杭(蘇州か杭州)に住み、北?に眠る」。これは古来より中国人が理想とした生き方で、「生前は美味しいものを食べ、死後は由緒ある墓に眠る。」という意味を指しています。
北?とは現在の洛陽北部を東西に走る丘陵地帯にあたるところで、中国で最も歴史のある中原と言われた場所です。この地域には皇帝や豪族の墓がたくさんあるのですが、身分のある人物のお墓には当然の如く青銅器・玉器を始めとする立派な副葬品が埋葬されていることは国内外でも同様です。
そして意外にも重要な墓地発見には犯罪行為が貢献するといったことがあります。1950年代、ダム建設の際に西周時代の貴族墓地が発見されるきっかけとなったのは、なんと地元農民の盗掘だったそうです。このことが「富を得るなら墓を掘れ」というキャッチフレーズを生み、次第に計画的・組織的犯罪へとつながっていきました。
中国では王墓など国家一級クラスの墓からの盗掘が後をたたず、建国後では手っ取り早い金儲けの手段としてさらに急増し、現在では20万個所もの古墓が盗掘被害に遭っていると発表されています。そして盗掘した副葬品の大半が海外に流出するため、中国は「文物輸出大国」との不名誉な称号をも手に入れてしまいました。
しかしながら盗掘した文物によって富を得た者が、急に暮しぶりがよくなったり、分け前をめぐる仲間割れなどから盗掘が明らかになるケースが多く、そこで事態を重く見た政府は、2001年第九期全国人民大会常務委員会第24回会議において『中華人民共和国文物保護法』を審議し、同文物保護法の修正について、文物の盗掘や密輸などの取り締まりや、文物に関する行政法律執行力の強化などを修正しました。
その内容と効果については次号でお話したいと思います。
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