敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【中国老街-1「外灘」】VOL.1

 
●外灘の夜景、うっとりします。

 上海市内の中山東路沿いにあたる黄浦江西岸、詳しくは黄浦江と蘇州河の合流地点から南方にある金陵路にあるフェリーターミナル付近までの中山東路沿いは租界時代における上海の中心地で「外灘(英語で<バンド>Bund)」と呼ばれた地域で、上海の古き良き"下町"でした。中国語で「外wai」は外国の意味を、「灘tan」は岸を意味しています。
 その下町も1842年、アヘン戦争後に中国がイギリスと締結した南京条約によって、上海港を諸外国に開港することを余儀なくされたことを機に、当時のイギリス人が上海においてビジネスを進めるうえで最適な拠点にしようとしたのが外灘の始まりとされています。当時の外灘は、欧米の列強諸国が進出した際、外国人でも自由に貿易の行なえる区域として認証されていました。
 この黄浦江はいろんな船が次から次へと走り抜けるので、見ていても飽きることのない名勝地になっています。また朝は太極拳や体操で、夜は夜景を楽しむために多くの上海人が集う場所となっています。ちなみにこの中山東路の名前は中国民主革命の先駆者「孫文(孫中山)」から命名されたものです。
 外灘は上海の文化、経済、政治における中心地域でしたし、その当時の繁栄の名残は1920年代に欧米列強が競って建てた古い重厚なビル群から窺ことが出来るでしょう。日本人がよく滞在することで有名な和平飯店も外灘の代表的な建物のひとつです。
 銀行街や黄浦江沿いにある52棟ものクラシックビルは夜6時半から10時半までの間、ライトアップされ、その光景は約100年前の建築物がとても幻想的に浮かび上がる観光スポットとなっています。
 みなさんにも是非古きよき時代にフィードバックしていただきたい観光スポットです。