【中国老街-2「胡同」】VOL.1
●ご存知「ニイハオトイレ」(筆者撮影)
北京市の地図を見ればお分かりいただけると思いますが、市内の道路網は紫禁城を取り囲むかのようにいくつもの細い路地が入り乱れています。その一筋一筋には個性的な名前とともに様々な歴史があり、我々観光客がぶらっと通りすがっても昔ながらの趣を感じさせます。
その路地の名前を「胡同(フートン)」と言うのですが、わが国の路地に当てはめて考えてみると、下町の「横丁」と訳せばまさにピッタリくるかもしれません。
その胡同に面した住居は「四合院」と呼ばれる中国独特の建築物で、それらが胡同沿いに整然と建てられているのが普通です。四合院は、改革解放以前は一世帯で一戸を有していたのですが、新中国成立後は国に没収され、数世帯が雑居するようになりました。それぞれの世帯が四合院の中心にある庭共用スペースを台所にしたり部屋の増築をするため、四合院内のおける一人あたりの居住スペースが非常に少なくなり、まさに混沌とした住居となっています。この四合院についてはまた機会を改めてお話したいと思います。
さて首都・北京の町並みの基礎は初めてモンゴル族が中国を統一した元の時代に作られました。その名残か、「胡同」は蒙古(モンゴル)語で、「井戸がある場所」の意味です。井戸を取り囲んで人が集まり、集落になり、そして生活スタイルが出来たため、「〜胡同」という名称で呼ばれるようになったようです。
その後元、明、清と三王朝にわたり色々な胡同が造られ、首都・北京に住む人々の生活と文化の礎となっていったのでした。
次号では猛スピードで変化を遂げる中国で、古きよき中国の変わりようについてお話したいと思います。
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