【中国老街-2「胡同」】VOL.2
●取り壊し中の「胡同」(筆者撮影)
そして清末期になり、封建体制の変革とともに胡同にある貴族の大邸宅や大四合院は分割され、複数の家族が同居する「雑院」という形に変化していきました。さらに中華民国時代になると、内戦が頻発したり、諸外国からの侵略を受けたりと、極めて不安定な状況のもと、北京の都市整備は放置され、それとともに胡同も衰退の一途をたどりました。
さらに追い討ちをかけたのが「文化大革命」の10年で、その間に胡同周辺の多くの貴重な歴史的・文化的遺産が人為的に破壊されました。胡同の住民にとっては災難とも言えそうですが、WTO加盟、オリンピック開催地決定など国際都市化を目指す北京にとって、胡同は大きなお荷物となっています。
その理由は住民が勝手に家屋を増築したことから胡同が迷路のようになり治安の面で問題視されていること。そして家屋の老朽化による安全性の問題。さらに大半の家庭が練炭を使って暖を取るため、空気汚染や衛生面の問題まで指摘されていることです。
筆者は北京に行った折、早朝散歩がてらあちこちの胡同を歩くのが楽しみの一つになっているのですが、方向音痴なためよく迷路(迷子)になってしまいます。
昨年北京に行った折もいつものように早朝散歩をしたのですが、胡同に面した多くの建物に「期限つきの立ち退き勧告」が貼られているのを発見しました。中国は日本と違い土地は国家の所有物であるため、立ち退きを要求されている住民には移転に伴う費用として政府から補償金を受給できるそうですが、その金額は少なく、多くの住民は市内中心部から離れた郊外に移転せざるをえないそうです。
現在立ち退きを要求されている胡同の住民は200万人にものぼると言われています。しかしながら下町のシンボルともいえる胡同は、単なる通路ではなく、下町における生活の場でもあります。朝から野菜や果物を売ったり、朝食を済ませる場所でもあり、上半身裸のお爺ちゃんがキセルを吹かしたり、中国将棋を楽しんだり、と日常を忙しく過ごす我々日本人とは大きく違う、ゆったりとした時間が流れる場所でもあります。
近代化政策と共に胡同は、北京市内の一部を除いて猛スピードで道路やオフィスビル、マンションに姿を変えようとしています。
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