【真面目】VOL.2
●衛生面から唾を吐きかけるコトが禁止になった「秦檜と秦檜夫人、家臣2名」の鉄像
三国志に詳しい方からすれば「釈迦に説法」かと思われますが、参考までに、関羽(?〜 219年)は三国時代・蜀漢の武将で、後世の人たちにより神格化され、後に関帝(関聖帝君・関帝聖君)と呼ばれています。中国では、関羽の誕生日である旧暦6月24日は休日となるほどの国民的英雄です。
岳飛(1103年〜1141年)は南宋を攻撃する金に対し、身体に「尽忠報恩」という四字を刺青して対抗し、幾度となく勝利を収めた功績が称えられ、後に鄂王(がくおう)に封じられ、岳鄂王とも呼ばれています。
1141年、岳飛は軍閥たちの反感を買い、金との講和成立を推進した秦檜に陥れられて無実の罪で獄死しますが、後に冤罪は晴らされ、1221年に岳飛廟が建てられました。その岳飛の墓の対面には鉄格子の中でひざまずき、後ろ手に縛られ、岳飛に謝罪する「秦檜と秦檜夫人、家臣2名」の鉄像があります。銅は高いため、安い鉄で作られたのでしょう。死してなお辱めを受ける秦檜とその一派は、多くの中国人の嫌われ者代表です。
反対に要領よくずる賢い人は、自分や自分の周りがひどい目に遭う「因果応報」にあうと言われます。518年(天監一年)に成立した中国梁代の僧祐が編纂した「弘明集(ぐみょうしゅう)」には、「因果応報」などに関する諸論58篇が収められています。
その後664年(麟徳元年)には、唐代の道宣が、仏教護法のために書かれた文章を収録した「広弘明集(こうぐみょうしゅう)」を編纂しました。これは「弘明集」には収録されなかった文章や、その後の書簡・論書などから追加収録し、30巻で構成されています。いずれも中国仏教史研究だけでなく、中国思想史研究においても大変重要な文献資料で、仏教道教の二教の優劣論争に関する基本的文献が収録されています。
遥か昔、勧善懲悪の時代の、さらにその前の時代から、ずるい人は裁かれ、逆に十分な対価を求めず真面目に働いてきた日陰の存在には、日が当てられるものと決まっているようです。
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