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【計画生育とその弊害 】VOL.1
●後漢・画像磚に見られる学校。国立大学は「辟雍(へきよう)」、省立大学は「?宮(はんきゅう)」と称しました。
中国における改革開放政策が始まった1979年、都市部では基本的な国策の一つとして同時に「人口抑制計画(一人っ子政策)」が、農村部においては少し遅れて1985年頃より実施されました。
この法律は中央政府と地方政府が人口発展計画原理を導入し、法的規制によって人口増を抑えようとして強固に実施されました。この施策によって、全ての夫婦は出産保健、避妊、育児などの指導やサービスなどを受けることが出来るようになりました。
とくに北京や上海などの都市部では一人っ子政策は強化、ないし遵守されましたが、伝統的に家督制や男尊女卑の残る農村部では二人目までは出産可といった規制緩和を行なうなど、さらに少数民族地区ではそれぞれの地区の人口、文化、風俗などによって柔軟性のある政策を取らざるを得なかったことから、「都市部には厳しく、農村部には寛容、漢民族には厳しく、少数民族には寛容」と比喩される政策となったようです。
この規制に違反した場合、一人当り相場として6,000〜10,000元(90,000円〜150,000円)もの罰金を払わされるそうです。罰金の金額があやふやなのは、地域によって、また中国における人治国家特有のコネの有無、さらに故意性、支払能力などで考慮される面があるため、このような金額差が出るという実状です。
現行政策では、一組の夫婦に一人の子供、晩婚晩育(結婚も出産も遅めに)が基本で、農村地区では数年間の間隔をおいて二人目を出産してもよいということです。
一人っ子政策がもたらした問題と、現代中国が解決すべき問題については次回更新コラムでお話しします。
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