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敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【高考(高考全国統一試験】VOL.1


●隋代文帝・楊堅(左)と明代「試験図」

 中国の試験といえば、「科挙」が頭に浮かぶ方が多いと思います。科挙は隋代の文帝・楊堅(541年〜604年、在位581年〜604年)によって九品官人法の代わりとして始められた「官僚選抜制度」という試験ですが、時代によっても異なるものの合格率は約3000倍、最終合格者の平均年齢は約36歳というギネス級の国家試験でした。  科挙は近代化が叫ばれ始めた清末期の1905年、改革派たちによって廃止されるまで1300年以上も続いたのです。科挙に合格すれば、高級官僚としての将来が約束され、立身出世を望めることから多くの人が将来を賭けて科挙に挑戦したのでした。
 しかし数年に一度しか行われない科挙の難関さは相当なもので、しかも受験に高額な経費が必要になることから、子供のために費用を捻出する家族や合格後の富・地位・名声・権力を当て込む者など、合否によってさまざまなドラマが生み出されました。同じように現代中国では、大学に進学希望する高校生を対象に、年に一度、「高考(高考全国統一試験)」が「現代中国の科挙」としてさまざまなドラマを生み出しています。
 日本でも、平安時代に科挙制度が導入されましたが、合格者が下級貴族から中級貴族に進める程度の試験であったため、受験者の大半は下級貴族のみでした。そのため大貴族と呼ばれる上級貴族層には浸透せず、武士階級の登場とともに廃れました。江戸時代になると、官僚は世襲制が主流になり、科挙が日本の歴史に影響を与えることはありませんでした。ところが明治維新によって、現在の国家公務員試験の原型となった高等文官試験には再び科挙形式の官僚選抜制度が導入されました。しかし当時の試験科目は儒教ではなく、西洋近代学問となりました。
 さて、1990年代には2〜3%に過ぎなかった中国の大学進学率が、2000年代になると募集定員・進学希望者ともに毎年30〜40パーセントずつ増え続け、現在では10数パーセントにまで上がっています。中国の大学は入学時期が9月になるため、受験は毎年6月〜7月に行われます。
 現代の科挙「高考」の実態については次号でお話ししたいと思います。