【宦官】VOL.2
●司馬遷(左)と、少年宦官のショッキングな写真
著名な宦官としては、前漢「史記」の作者・司馬遷、後漢時代の紙の発明者・蔡倫、清朝・西太后に重用された李蓮英、などが挙げられます。
なかには刑罰として去勢(宮刑・腐刑)されたり、異民族の捕虜や献上奴隷が去勢された後、皇帝や後宮に仕えるようになったという例もあります。自宮宦官の始まりは春秋時代の「豎?」で、斉・桓公の後宮の管理を願い出て、自己去勢したようです。
宦官は、隋朝までは宮刑を受けた罪人が主流でしたが、宦官が重用され、彼らの出世が注目されるようになると、親の命令で少年時代に去勢手術を受けたり、自宮志願者が続出するようになったことから、唐代には一旦宮刑が廃止されましたが、宦官は朝鮮やベトナム、さらに中国の勢力が及んだ東アジアにまで広まったようです。
切断された男性器は「宝(パオ)」と呼ばれ大切に保管され、本人が死亡すると棺に一緒に納められました。そのため性器を失くした場合、他の宦官の物を盗んだり、自宮の際の手術代の代わりに性器を質に入れる者もいたようです。
1924年、馮玉祥によるクーデターで紫禁城から追放された宣統帝とともに追放されたのは、宦官2000人と女官200人と伝えられ、紫禁城内の生活において宦官がなくてはならない存在だったことが証明されました。
写真は1898年にパリで出版された「La Chine herm?tique」で発表された少年宦官の画像です。当時、北京に在住していたリヨン出身のフランス人、J.-J.
Matignonという内科医師により撮影された貴重な写真です。
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