敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【酒と漢詩】VOL.1


●富岡鉄斎画「寛師遊戯」

 古来、中国で文人と呼ばれた人にとって、なくてはならない嗜みと言えば「酒と漢詩」でした。飲酒がもたらす陶酔、ときには酩酊によって名詩が創られたり、また酒を題材とした名詩が創られてきたことは周知の事実です。
 飲酒について古の中国では、一人で楽しむ酒を「独酌」、二人差し向かいで呑む酒を「対酌」、三人以上の場合は「宴飲」に分類されます。日本で酒をこよなく愛した人と言えば、政治家・歌人の大伴旅人がおり、彼が詠んだ連作「讃酒歌十三首」は『万葉集』に収められています。
 独酌ではもう一人、良寛さんが挙げられます。「さすたけの君がすすむる うま酒に、われ酔ひにけりその美酒(うまざけ)に」は、一人で呑む酒の気楽さ、興趣に溢れた一句です。また、「漢詩(からうた)を作れ つくれと君は言へど、御酒(みき)し飲まねば出来ずぞありける」は、酒を呑まずに漢詩など簡単には作れないとしこたま呑んだところ、酩酊して漢詩が創れなかったという逸話で、良寛さんのじゃれあう様子が目に浮かぶ一句です。
 対酒で最も有名な詩といえば、李白(太白)「山中与幽人対酌」で、ちょうど今の時期、多くの書家が作品の題材として好んで選ばれる有名な詩です。その内容は、「山中で友人と酒を酌み交わすうちに山の花が咲きこぼれる。一杯一杯また一杯、酔って眠くなったので君は一度帰りたまえ。明日、気が向けば琴を抱えてまた来たまえ」で、まさに世俗から掛け離れた心地良い酩酊感が溢れています。
 「一杯一杯また一杯」は、漢詩の平仄(ひょうそく)を無視した反復ですが、絶妙なリズムと叙情を与える対酌の名詩です。心を許せる友と時を忘れて呑む楽しみと、決して強制せず「また呑もう」という関係は、現在の閉塞感のある世の中では経験出来ない羨望すら感じます。