【木乃伊(ミイラ)】VOL.2
●辛追のミイラ(湖南省博物館蔵)
ミイラの語源に「薬効」や「神秘の薬」といったイメージがあったせいか、中国でも昔から「シルクロードから持ちこまれた乾燥遺体の薬」として珍重されました。日本でもミイラは万能薬として珍重されました。ときは徳川綱吉の時代、そう水戸光圀の時代です。フランシスコ・ザビエルの来日をきっかけに、日本とポルトガルの交易が始まりました。当時、西洋でミイラといえば「アラビアの万能薬」だったそうで、日本にも「西洋でブームの万能薬」という触れ込みで流行しました。
さて、よく「木乃伊取りが木乃伊になる」と言われますが、これは昔、ミイラが薬として珍重され、高値で取引きされていたエジプトで、ピラミッドにミイラや副葬品を探し(盗掘)に行った人が戻ってこなかった、つまり死んでしまった(ミイラになった)コトから出来た諺です。それでなくても砂漠の過酷ともいえる気象や、ピラミッド内は盗掘防止のために複雑な構造(迷路)になっているため、迷い込んでしまうのも無理ありません。
中国古典にも木乃伊取りに関する逸話があります。中国古典文学で初めて酒の功徳を書いたのは『酒徳頌』で、著者は竹林七偉人の一人、劉伶(伯倫)です。劉伶が登場させた架空の大人先生は大酒飲みで、それを戒めようと堅物二人が「礼法」論戦を挑みますが、その間も我関せずと豪快に呑み続ける姿に根負けし、遂には酒呑み仲間に加わってしまうという内容です。まさに木乃伊取りが木乃伊になった話です。
こちらの方は楽しい酒盛りの話ですから、酒好きの筆者としては大歓迎です。
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