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【伯夷叔斉】VOL.2


●「史記」序文

 死後、清節を守った二人は儒教の聖人として扱われるようになりましたが、孔子は『論語』のなかで、「伯夷・叔斉は不正不義を嫌悪し、事を憎んで人を憎まない人であるから怨みを抱いて死んだのではない」と説いています。
 太公望に「義人」と言わしめた伯夷、叔斉の伝説を通して、必ずしも善人が幸福になれず、逆に盗跖のような大盗賊が、天罰も受けずに安楽な生涯を過ごすという現実が、本紀で取り上げた帝王たちに対して、帝王として本当に相応しい人物だったかとさえ考えさせられます。
 武王が紂王を放伐し、天下を獲ったことを非難し、また太古の有徳の王を懐かしんだ逸詩「采薇の歌」は、詩経にも掲載されていない名詩ですが、司馬遷は『史記』においてこの詩を取り上げています。

  かの西山に登り その薇を采る

  暴を以て暴に易え その非を知らず

  神農・虞・夏忽焉として没す

  我いずくにか適帰せん

  于嗟徂かん 命の衰えたるかな

 「天道是非」とは、すなわち「天道はえこひいきではなく、善人に常に味方する」という考え方に対する大きな疑問ともいうべき、司馬遷のアンチテーゼでもあるのです。