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【滑稽】VOL.2
● 十返舎一九「東海道中膝栗毛」(左)と式亭三馬「浮世風呂」
また、「滑稽」の語源は、酒器の一種の名称で、その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになったとする説もあります。ただし、これは北魏時代の崔浩による『史記』等の注釈ですが、それら歴史書に立伝される人物の滑稽には、笑いの要素は含まれていません。要するに、孟子に代表されるような、並外れた知識で王に提言することが出来る遊説家は、口舌で相手を説き伏せる徒であり、中国全土を旅して都で取り立てられる異人でもありました.このような弁舌のディペーターを古代中国では滑稽と呼んだのです。
さて、日本で滑稽といえば、江戸後期、文化・文政期(1804〜1830)を中心に行われた小説の一種「滑稽本」が挙げられます。江戸の町人の日常生活を取材し、主として会話を通じて人物の言動の滑稽さを描写したものです。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」など、中本(ちゅうぼん)ともいわれる小説は、単純な言葉の引っかけや常識から逸脱した言動、そして下ネタなどで大衆の笑いを誘いました
1,000年以上も前に編纂された『史記』などの古い歴史書を紐解くと、現代は思想も科学も大いに発展したにも関わらず、それを編み出し、そして操っている人間の行動様式が、実はそれほど変わっていないような気がしてなりません。そうだからこそ、太古の偉人・文人が残した伝記に、一喜一憂しながら思いを馳せることができるのかもしれませんね。
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