【明鏡】VOL.1
● 『晩笑堂竹荘畫傳』より張九齢
中国芸術の秋に因んで、今号では中国古典文学について触れておきましょう。文学史では初唐にあたる時代の詩人に、張九齢(ちょうきゅうれい、678〜740)という人がいます。
張九齢、韶州曲江(広東省)の人。702年、進士に及第、校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相に就きますが、その後、左遷され官を辞します。辞任後は故郷に帰り、文学史書に親しんだ人で、李白より少し前の人です。
その彼が詠んだ詩「照鏡見白髪」に、
宿昔青雲志 宿昔(しゅくせき) 青雲の志
蹉?白髪年 蹉?(さた)たり 白髪の年
誰知明鏡裏 誰か知らん 明鏡の裏(うち)
形影自相憐 形影(けいえい) 自ら相憐(あいあわ)れむとは
詩に云う。昔は青雲の志を抱いていた。しかし、その志は得ないうちに、
このような白髪の歳になった。鏡の中の我が姿など、一体誰が知るだろう
か。こうして私と、私を映した影とが、互いに憐れみ合うとは。
一見すると、若い頃の志が叶わずに年老いた悲哀を詠んだ詩のように思えますが、張九齢は玄宗皇帝の側近として最高位の官吏「尚書右丞相」まで出世した人物です。ですから、これは悲哀の詩ではなく、文人たちの表現の機知を楽しむため「虚構のテーマ」を設定して作った一首とされています。
次号では、この詩に所縁のある有名人物が登場します。
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