【明鏡】VOL.2
● 李白肖像画
さて、この詩を読んで李白の「白髪三千丈」が浮かんだ人は流石です。白髪三千丈は連作「秋浦歌」17首の15首目に登場します。秋浦は安徽省南部の長江南岸にある貴池県という地名で、50代半ばの李白は、この地の客(かく)となっていました。唐王朝衰亡の始まりの頃、つまり李白の晩年は不遇でしたが、詩才を絶賛され、「詩仙」と尊称されました。
そこで「白髪三千丈」で有名な李白の「秋浦歌」と対比してみましょう。
白髪三千丈
白髪(はくはつ) 三千丈(さんぜんじょう)
縁愁似箇長
愁いに縁(よ)りて 箇(かく)の似く長し
不知明鏡裏
知らず 明鏡(めいきょう)の裏(うち)
何処得秋霜
何れの処よりか 秋霜(しゅうそう)を得たる
わが白髪は三千丈(約9,000メートル)もあろうほど伸びた。愁いのために、これほどまで長く伸びたのか。それにしてもこの鏡中のどこに、これほど多くの白い秋霜があったのだろうか。
白髪三千丈は李白独特の誇張表現ばかりが強調されると、張九齢同様、本来の鑑賞から遠ざかると指摘する人もいます。とくに互いの第三句は酷似していますので、ここで張九齢と李白の関係を考えてみます。
李白も玄宗皇帝に仕えた一人ですが、政治家としての地位にはあまりにも開きがあり、李白は政治の実権とは無縁の宮廷詩人にすぎず、宴席に侍る楽人扱いだったとされています。ですから、この二つの詩は相似ているものの、実際の詩境や詩情は異なるものと理解しなければなりません。
張九齢は67歳、李白はその約20年後、61歳で鬼籍に入りますが、澄んだ「明鏡」が突きつけた老いの現実と衝撃。そして偽らざる実感が過ぎ去った生涯への追想となり、万古の名詩を生んだのでしょう。
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