敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【紅一點】VOL.1


●安徽省褒禅山にある王安石彫像

 多くの男性に、女性が一人だけ交じっている場合、我が国では「紅一点」と言い、よく使われます。実はこの「紅一点」という単語は、中国・宋代の政治家、詩人、文章家の王安石[1021年(天禧5年)〜1086年(元祐元年)]が詠んだ「咏柘榴詩(ざくろの詩)」が出典であることをご存知の方は少ないと思います。初夏に鮮紅色の花をつける柘榴は、日本には平安時代に渡来し、呉音「ジャク・ル」の音訳で「石榴」花と名付けられました。
 「咏柘榴詩」原文は、
  濃緑萬枝紅一點
  動人春色不須多
で、「一面の緑のなかで咲く一輪の赤いザクロの花、春の景色はそれだけで十分、人間を楽しませてくれる」といった内容の詩です。
 王安石は、現在の総理大臣にあたる宰相まで上り詰めた大政治家で、その強力なリーダーシップを発揮して、新法や財政難改善を主唱し、政治改革を断行しました。ところが、司馬光を筆頭とする旧法(保守)派の反対にあい、結局は辞職に追い込まれて引退し、その後は南京にて隠棲生活を送りました。
 残念ながら、「咏柘榴詩」は全編が残らず、逸文になってしまったため、山本健吉の「萬緑は王安石の詩に由来する」とする説には無理があるといわれています。しかし、脱線しますが、麻雀の役満「紅一点」は王安石詩に由来しているのは間違いないようです。
 次号では、北宋・徽宗皇帝の時代にも見られる「紅一点」をご紹介し、日本の「紅一点」との比較もしてみたいと思います。