敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【春花】VOL.2

 梅、桜は日本を代表する花ですが、中国では牡丹が国花です。美人を例える形容詞に「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」ということばがあります。立居振舞のすべてが凛としていて、清楚な風情もあり、そのうえ妖艶なる女性が理想の美人像とされた時代の慣用句です。
  夏・冬二季にわたって咲く寒牡丹があるものの、本来牡丹の花期は晩春から初夏の半ば頃までの約半月ほどの命です。美しいものの命は短いことの例えに引用される牡丹ですが、歴代皇帝の中には牡丹狂というべき愛好家がいました。
  中国史上ただ一人の女帝である則天武后(六世紀)はその代表格で、『牡丹譜』には宮中上苑に移植させて賞でたと記されています。
  玄宗の時代(七世紀)は、長安の都中が牡丹狂の人々であふれ、そして牡丹は玄宗と楊貴妃の恋物語を彩る花となりました。牡丹の画家が輩出される一方、牡丹詩千首を詠んだ郭延沢(かくえんたく)などの詩人が人々を驚かせたのもこの時代です。
  しかし牡丹を代表する詩というと、やはり白楽天の「花開き、花落の二十日」ですね。与謝蕪村の名句「牡丹散ってうちかさなりぬ二三片」も有名ですが、この二つの詩句にある、短命な牡丹の「はかなさ」は万国共通のような気がします。
  日本人の桜の花見は、万葉時代の歌に詠まれているほどで、聖徳太子の頃から野生のサクラを見に出かけていたようです。平安時代には中央に野生サクラの移植が始めり、桃山時代には奈良・吉野、京都・醍醐など、豊臣秀吉が大花見大会を催すほどの名所が生まれたのです。
  小生のオフィスも「桜の通り抜け」で有名な大阪造幣局の近くなので、この原稿を書き上げたら土佐堀川の川沿いでお花見でもしてみたいなと思います。