敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【傘蓋(さんがい)】VOL.2


(右)車馬人物畫像石拓本 「徐州漢畫像石」より
(左)木俑 山東省歴史博物館所蔵品より

 しかし傘の形については、実は昔からほとんど変わっていないようです。古くは戦国時代や漢代の畫像石や磚に、その形が認められます。馬車の上に取り付けられた傘は「蓋(がい)」、または形が傘に似ていることことから「傘蓋(さんがい)」とも呼ばれていました。
  蓋の目的は雨を遮ることは勿論なのですが、それ以上に権力者の威厳を示すことに主たる役割があったようです。王侯貴族の外出には、車馬に蓋を取り付けるか、警備を担当する者が手に持って身分の高さを誇示していました。
  一般人が傘を持って日差しや雨を遮ることが出来るようになったのは、宋代になってからのことでしたが、それでも許されたのは紙製の傘のみでした。後世の明代の太祖洪武帝にいたっては、民間人が絹製の傘を使用することを禁止したほどです。
 上記掲載の車馬人物畫像石拓本は傘蓋のサイズも大きく、かなり高い身分の人物であったと思われます。山東省の魯王朱檀墓から出土した木俑には、皇族の威厳を示すため俑を作って埋葬しました。明代出土のものとされていますが、蓋の装飾も細かく、やはりこちらも身分の高い人の埋葬品と言うことができるでしょう。
  原画で確認できるものとしては、唐代の閻立本が描いた「歩輦図」に、唐の太宗に数人の従僕が柄の長い蓋をかざしている図が描かれています。明代になると従僕が蓋を斜めに持たなくてもいいように、蓋が前屈みに傾斜した「曲蓋」も発明されました。細かな装飾に鮮やかな垂れ絹は、絢爛豪華な王侯遺族の生活を物語っています。
 酔っ払っては電車に傘を忘れてしまい、またまた新しい傘を買うハメになっている小生ですが、読者の皆さまにはこの時期、少しは傘をさすことも楽しんでいただければ幸いです。