【申年】VOL.1
● トウ元之画『仙猿ボウ壽』(左)と部分拡大
その昔、中国西方にある崑崙山の「瑤池(ようち)」、ここには西王母という女神が住んでいました。ある日西王母が仙人を集めて宴会の準備をしていたところ、一匹のネズミがご馳走の匂いを嗅ぎつけたことをきっかけに、あとからもいろいろな動物が集まってきました。散々食べ散らかしておなか一杯になった動物たちは帰って行きましたが、お酒に酔っ払って寝てしまった12匹の動物たちは、西王母に見つかって年番で一年づつ苦役を命じられました。この伝説が一二支の始まりだそうです。
今年の干支「申」は十二支の9番目に位置しますが、時刻にすると現在の午後4時、またはその前後2時間、方角では西南西、動物では「猿」となっています。「申」は解字では会意、元々は電光(いなずま)を描いた象形文字で、電の原字です。その後「臼(両手)+―印(まっすぐ)」の形となり、手でまっすぐのばす意になったため、伸(のばす)の原字でもあります。
日本ではよく生まれ年の人の性格を、実際の動物の生態や見た目とだぶらせたりしますが、実際に今年の干支「申年」生まれの人の性格を調べてみると、機敏、知能が高い、手先が器用、また機を見るに敏で、物事を敏速に判断して、あっと言う間に勝利を勝ち取るタイプなどと言われます。
実は豊臣秀吉がこの星の生まれだそうです。申年生まれで酉の月生まれの秀吉は、抜群の知力を発揮して天下を取りました。申と酉の運気を最大に活用したことが勝利に結びついています。つまり短期決戦タイプであり、即断即決能力に長けているということができるでしょう。その反面移り気で持続性がないという欠点も指摘されています。
その典型的な例として「朝三暮四」の熟語があげられます。語源は猿のエサとして朝三つ、夕方に四つとあげると言ったら抗議されたため、それなら朝四つ、夕方三つと提案すると大変喜んだとする話から、合計数は変わらないのに目先の利益に走る愚かさの例えによく使われています。
次号でまたまたいつもの脱線から、猿年生まれの方を敵に回しかねないお話を…。申年さん、ごめんなさい。