【五月五号】VOL.1
●(右)大阪名物「松屋町」のお店
(左)鯉のぼり商戦、真っ只中です
日本では五月五号(日)というと「端午の節句」、つまり子どもの日ですね。お隣中国でも旧暦のこの日は「端午節」になっていますが、その内容は日本とはいささか違います。実は中国の「こどもの日」は六月一日(六一児童節)なのですが、これは一九四九年国際民主婦人連合会の決議に基づいて設けられた「国際児童デー」を始まりとしています。この日は小学生と幼稚園児に限って祝日になります。面白いのは中学・高校生は休みにならないということと、就学前の小さな子どもがいる家庭では両親は平常通り出勤し、小さな子どもだけがお留守番という状況になるということです。
では五月五日は何の日かといいますと、この日は戦国時代の楚国の詩人、屈原(くつげん)を弔うという別の意味を持った日となっています。司馬遷の『史記』には、屈原と屈原から一〇〇年も後の賈誼との人物伝をまとめた『屈原賈誼列伝』があり、後世の人物伝形成に多大なる影響を与えています。それらによると、紀元前二七八年五月五日、楚国の都である郢が陥落し、秦国の軍に占拠されたことを聞いた屈原は、汨羅江に身を投じて殉死しました。屈原の殉国を聞いた人々は、大急ぎで舟を出し競って救いに出かけましたが結局助け出せません。そこで屈原の霊を慰めるとともに、魚に遺体をつつかれることを免れるよう、人々は棕の葉でちまきを包んで川に投げ込み魚を餌付けました。また空想の悪竜を追い出すため雄黄酒を川に注ぎ、屈原の遺体を守ろうとしました。中国ではそれ以降、端午節にはちまきを食べたり、竜舟を競ったり、雄黄の酒を飲んだり、香り袋を着けたり、よもぎを掛けたりするのが慣わしとなってきました。これら習慣のいくつかは日本にも伝わってきております。この端午節は別名「端陽節」、「重午節」とも言われていますが、中国では今でも玄関に蓮の花を飾り、家族でちまきを食べ、平世の永続を祈念します。
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