敬天齋主人の知識と遊びの部屋

敬天齋主人の知って得する中国ネタ

【風筝】VOL.2

 凧が日本に渡ってきたのはおそらく七世紀頃で、朝鮮を経由してのものといわれていますが、信頼できる最初の記述は9世紀になってからのものです。平安時代のある一族の史書に「紙鳶」という記述がありますが、これは中国でいう鳥形の凧ではないかと想像されます。おなじ紙凧を他の文献では「いかのぼり」とよんでいます。12世紀になると、凧揚げの技術は著しく進歩を遂げ、ついには人間を乗せることのできる大凧が出現しました。
 日本の故事に登場する源為朝は、1156年伊豆大島で流刑に処せられました武士ですが、自らが作った大凧に息子を乗せて下田に送り返した脱出飛行は、北斎の木版画に描かれています。また世紀の飛行術で知られる話としては、17世紀末、天下の大泥棒・石川五右衛門が名古屋城にある金の鯱鉾の鱗を盗むため、大凧に乗って屋根まで上がったとされています。
 しかしその結果、五右衛門は捕らえられ、家族もろとも油の釜ゆでの刑に処されたという話は有名です。
 日本の凧は、江戸時代(18〜19世紀)、紙の生産が飛躍的に進み、庶民の手にも安く 入手できるようになったころに最盛期を迎えました。現存する凧の形やデザインのほとんどすべてが幕末の頃の作品であることは、絵柄に用いられた流行芝居や浮世絵の多色摺り木版からも明らかです。

 最近ではビルやマンションが立ち並び、都会でたこ揚げを見かけることは殆んどなくなりました。滅び行く伝統文化にはもうスポットライトはあたらないものでしょうかねえ。