NO.2 松丸道雄先生訪問記
大野 修作
◆書法漢學研究の編集顧問の松丸先生には発刊以前から御世話になり、様々な見地からご指導頂いておりますが、それは多く東京での食事の席で指示、ご教示されることが多いのが特徴です。本紙もまもなく第二号を刊行しますが、本紙の現況をお知らせしつつ、今後の展開をお聞きするために、出版元の近藤社長と一緒に東京に伺いました。
◆ちょうど翌日に筑波大学で書学書道史学会が開催されるのに合わせて関西から訪問しました。すると例によって書道博物館のあと銀座で落ち合うことになり、まず銀座7丁目のライオンビアホールで喉を潤しました。つぎに「場所を変えて」と言うことで松丸先生が提案されたのは、「鰻はどうですか」ということでした。我々は本格的な江戸前の鰻は食べたことがないので、勿論賛成いたしました。
◆そこは職人の熟練の技が光る江戸の老舗鰻割烹料理「宮川」でしたが、築地橋のたもとで明治26年(1893年)に創業した名店です。震災で焼けながらも築地の街にこだわり続け、その味で東京中に名を轟かせている老舗です。そこは松丸先生の故郷というか、ホームグランドであり、幼い頃に遊んだ土地であり、さらにはお父さんの松丸東魚先生が懇意にしていたお店でもあります。
◆うなぎは養殖ものをその時季一番よい産地から厳選し、職人たちが創業当時からの“ふんわりと蒸し上げ、きれいに焼く”という伝統の技を守り抜いているということでしたが、食べたときの優しい舌触りは関西風にはないもので絶品と言えるものでした。
灘の吟醸酒「宮川」とともに、雅なひとときを過ごしましたが、松丸先生ですから試すことも忘れません。
◆鰻の大形で古風などんぶりの図柄には漢詩が書いてあるのですが、「誰の詩ですか」と尋ねられました。書からして宋人風でしたが、詩も晩年の黄山谷が洞庭湖近辺で詠んだ詩であるとの記憶がありましたので、「黄山谷ですね」と答えると、いよいよ松丸先生のご機嫌が良くなり、会話もはずみました。雅を愛する文人の面を持つ先生ならではの配慮であり、我々としては書の文化はこうしたところにこそ存在しているのだと教えられた一時でした。
◆ぎすぎすして豊かな雅な文化が失われつつある現在、書法漢学研究は、こうした面も忘れてならないと、多くのことを教えられた訪問でありました。 |